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スティーブ・ジョブズさんとババジ
ジョブズさんはババジに非常に早い時期に出会っていたようです。
ジョブズさんがインドに行ったのは19歳のときです。 大学を中退してゲーム会社のアタリで働いているときに、 突然上司に「導師(グル)に会いに行かせてくれ」と頼み込んで、なんとOKが出たようです。 じつのところスティーブは、学費の高いリード大学に親に無理を行って入れさせてもらったのですが、成績が芳しくなく前期で退学してしまったのだそうです。 ところがその後も大学の寮に住み続け授業を受けていたといいます(爆 (まあもしかしたら親に顔向けできない、というところもあったのかもしれません) リード・カレッジは割と優秀な大学で、そこで東洋哲学神秘主義を学ぶつもりだったようです。 この世界では有名なティモシー・リアリーやリチャード・アルパートなどがよくリード大学に訪れていたと言います。 しかしいつまでもそんなことはしていられないと、アタリの募集に応募したところなんと採用されてしまいました。 スティーブが北インド;つまりヒマラヤの麓へ旅をした主目的は、 前記のリチャード・アルパートのグルであるニームカロリ・ババに会うことだったのでしょう。 また、彼の愛読書のひとつだった『あるヨギの自叙伝』の著者パラマハンサ・ヨガナンダの師の師ラヒリ・マハサヤがヒマラヤの山中で神人ババジに出会ったというエピソードを読んで、そこに行ってみたかったのではないかと思います。 リチャード・アルパートは当時、ラムダスという名で『ビー・ヒア・ナウ』という本を出し、 その本がヒッピーのあいだでは、バイブル的存在になっていました。 その『ビー・ヒア・ナウ』のなかで、ニームカロリ・ババの超人的エピソードが語られています。 スティーブはニームカロリ・ババのアシュラム(僧院)まで行ったのですが、残念ながらニームカロリ・ババは1973年に亡くなっていました。 そんなころ、ババジが現存している、という話をヒッピー間の口コミで聞いたのではないかと思います。友人と二人で会いに行きました。 その様子は『 iCon Steve Jobs 』に描写されていますが、やはりババジのアシュラムのあるヘラカンに行ったのではないかと思います。 1974年というと西洋からヘラカンに行く人の数はまだ少なく、ジョブズさんも無名の19歳ということで、ほとんど覚えている人はいないのではないかと思われる。 ヘラカンは世界でもっとも偉大な場所、とババジは言っています。 ババジは、講話や会話の中でしばしば自分を「マハプラブゥジ」と呼んだ。 『ババジ伝』より スティーブさんは、ババジのことを自分の探していたババジではないと思ったのかもしれませんが、 私はやっぱりスティーブさんはババジを見つけたのだと思います。 奇しくもスティーブさんの姓はJobsですが、スティーブさんは見事にビジネス面のカルマヨガを成し遂げたのだと思います。
by simple-person
| 2011-10-24 03:06
| ババジ
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